秋晴れと言葉とストレス

長男がオンラインクラスでも先生の言っていることをだいぶききとれるようになってきた。

まだまだ片言だけど、率先して手を挙げて発言しようとするし、足し算、引き算も2桁、3桁と難しいものもできるようになってきた。走るのもすでに私より早くなりつつあるし、日本語の絵本も自分である程度すらすらと読めるようにもなってきていて、とっても成長を感じる。

一方で、もっと長い文章で英語を話せるようにならないと、とか、もっと丁寧な言い方をしてほしい、とか奇声を上げるのをやめてほしかったり、すぐ兄弟喧嘩するのをやめてほしかったりと期待が高まるからこそ、当たり前にできて欲しいことも増えてきた。

 

夜にテレビを見せた時のこと。約束した時間で消すところまではできたけど、そのあとリモコンを投げて壊してしまった。

すごい音がして、自分でもすぐにしまった、って思ったみたいでバツが悪そうな顔して謝ったけど、しっかり叱って、何がダメなのか、どうすればよかったのかお話した。叱られて大泣きして、でも自分でも悪かったことを認識してこれからどうすればいいのか真剣に理解して胸に刻んだであろう表情に、自分の小さい頃の似たような経験を思い出した。

 

 

昼間、近くの公園まで秋晴れの気持ちいい中お散歩したときに長男が話してたことが何故か蘇った。週一回の日本語でのSing alongのクラスは日本語で簡単だから楽しいんだ、って。

やっぱり英語で、Speak upしなきゃいけない環境は子供ながらに負担を感じているのだな。その負担を子供ながらに明るく前向きに乗り越えていっている長男のたくましさと、子供ながらに抱えている痛みに胸がくるしくなった。